吉里吉里と共に生きるということ

初めまして!

僕は明治学院大学1年の林田と申します。

今回学校の企画で初めて吉里吉里へ、吉里吉里国へ行きました。

まず初めに吉里吉里での一週間本当にお世話になりました!

吉里吉里で吉里吉里国の皆さん、Niceの皆さん、みんみんさん、ゆうまさんらボランティアの皆さんと
共に生活しながらたくさんのことを学び、発見させていただきました。

まず初めに皆さんに心からの「ありがとう」を伝えます。

僕が吉里吉里で感じたこと、僕の想いを書きます。

これが僕から皆さんへの感謝の手紙だと思って読んでいただければと思います。



震災後僕が見た被災地での様々な活動はどれもこれも、早く元のような街へと復興するための活動でした。

しかし、正彦さんら吉里吉里国の皆さんが行う活動は

2.3年の近い未来の吉里吉里ではなく、50年、100年先の吉里吉里を見た活動でした。

正彦さんをはじめ、吉里吉里国の方々は大きく変わった吉里吉里の姿を見れるわけではありません。

しかし、息子、孫、ひ孫の世代の吉里吉里のために、森へ汗を流しに今日も活動しています。

なにが、正彦さんらを動かしているのか。

僕はずっとそれを考えていました。

でもそれは間違いなく、

今回の津波による震災を体験したみなさんだから、わかることなのではないかなと思います。

吉里吉里には家族をなくした方がたくさんいます。

家を、車を、大切な物を無くした人がたくさんいます。

しかし吉里吉里の人々のおおくは津波によって多くの物を失ったけど生きていたからいい。

といって精一杯生きている人がたくさんいます。

愛した家族を、恋人を、友人を失った悲しみを僕は理解できるのか?

相棒のギターを、大好きな洋服屋を、彼女との大切な写真を、思い出の詰まった家を失った悲しみを僕は理解できるのか?

この数日、僕は正彦さんらと共に森に入り、共に同じ食卓を囲み、同じ部屋で寝ながら、

楽しい日々を過ごしました。

私が出会った吉里吉里の多くの方は、私たちがボランティアで手伝う事よりも私たちと会う事で元気を貰えるんだと声をかけてくれました。

でもその一方で、多くのものを失った私たちの気持ちが分かるかと 、私たちボランティアの事をよく思ってない方も多くいると思います。

僕たちボランティアは自己満足の偽善者になるために被災地に行くのではなく、

本当の意味での支援とは何かを考えなければならないと感じました 

僕もまだこれから被災地とどのように関わるべきかよくわかりません。

しかし、もしも僕を必要としてくれている人々がいるなら、

行くだけで本当に支えになるのであれば僕は喜んで足を運びたいと思います。

「被災地の方々と共に生きる」

って、とても難しいです。

でも、僕は必要な事だと思っています。

吉里吉里で皆さんと共に生きていきながら、
僕自身が成長しながら、何らかの形で皆さんのお力になりたい。

皆さんと「兄弟」になりたい。

今そう思っています。

これからも恐らく僕は吉里吉里へと足を運び続けます。


こんな僕ですがこれからも、かわいがって下さればこれほどの喜びはありません。


一緒にいた方々はお分かりかと思いますが普段はあんな感じですので(笑)今回はおふざけなしで真面目に書かせてもらいました。

まだまだ寒い冬は続きそうですが、、、春の温かい風と共にまた吉里吉里へ行きます。

その時まではしばしの別れ!みなさんその日までお元気でーーー!

林田光弘(みつ)